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過去生からみる愛の本質について
ブライアン・L・ワイス博士の被験者たちによると、ソウル・メイトを持つことの意味は、もうひとつの魂(多くは何度も妻や夫として生まれ変わるようであるが、性別は交代する)と数多くの人生を共に生き、喜びや悲しみ、成功や失敗、愛や許し、怒りや優しさ、とりわけ、終わりのない成長を共に分かち合うことであるという。したがって、ソウル・メイトは、今回の人生で出会った瞬間から、もうずっと以前から互いに知っていたかのように、深いつながりを感じる相手であることが多い。
また、ソウル・メイトは一人につき一人だけしかいないわけでもなく、むしろ我々は、多くのソウル・メイトから成る魂のグループを持っている。妻や夫というロマンスの相手ばかりでなく、親友、両親、子供といった関係として生まれ変わってくることも多い。我々は、自分のソウル・メイトたちと共に、何度も何度も生まれ変わりながら、互いに切磋琢磨したり助け合ったりして成長してゆくのだという。しかも、ワイス博士は、養子縁組をした親子についても、数多くの退行催眠の結果から興味深い事実を発見している。
精神分析学の世界的権威であるエーリッヒ・フロムが、著書『愛するということ』(The Art of Loving)において愛の本質についてこう結論づけていた。
しばしば見受けられるのが、『愛があれば絶対に対立など生じない』という幻想である。2人の人間の間に生じる真の対立、すなわち内的現実の奥底で体験されるような対立は、決して破壊的なものではない。そのような対立は必ず解決され、カタルシスをもたらし、それによって2人は、より豊かな知識と能力を得ることができる。そのような経験に基づく愛は、絶え間ない挑戦である。それは安らぎの場ではなく、活動であり、成長であり、共同作業なのである。
愛とは本質的に、意志に基づいた行為であるべきだ。自分の全人生を相手の人生に賭けようという、決断の行為であるべきだ。実は、ひとたび結婚したら絶対に別れてはならないと言う考え方の背景にあるのは、この理論である。誰かを愛するというのは、単なる激しい感情ではない。それは決意であり、決断であり、約束である。もしも、愛が単なる感情にすぎないとすれば、『あなたを永遠に愛します』という約束には、何の根拠もないことになる。感情は生まれ、また消えてゆくからだ。
(福島大学経済学部助教授 飯田史彦先生 「いきがい」の夜明けより )
ブライアン・L・ワイス博士の被験者たちによると、ソウル・メイトを持つことの意味は、もうひとつの魂(多くは何度も妻や夫として生まれ変わるようであるが、性別は交代する)と数多くの人生を共に生き、喜びや悲しみ、成功や失敗、愛や許し、怒りや優しさ、とりわけ、終わりのない成長を共に分かち合うことであるという。したがって、ソウル・メイトは、今回の人生で出会った瞬間から、もうずっと以前から互いに知っていたかのように、深いつながりを感じる相手であることが多い。
また、ソウル・メイトは一人につき一人だけしかいないわけでもなく、むしろ我々は、多くのソウル・メイトから成る魂のグループを持っている。妻や夫というロマンスの相手ばかりでなく、親友、両親、子供といった関係として生まれ変わってくることも多い。我々は、自分のソウル・メイトたちと共に、何度も何度も生まれ変わりながら、互いに切磋琢磨したり助け合ったりして成長してゆくのだという。しかも、ワイス博士は、養子縁組をした親子についても、数多くの退行催眠の結果から興味深い事実を発見している。
精神分析学の世界的権威であるエーリッヒ・フロムが、著書『愛するということ』(The Art of Loving)において愛の本質についてこう結論づけていた。
しばしば見受けられるのが、『愛があれば絶対に対立など生じない』という幻想である。2人の人間の間に生じる真の対立、すなわち内的現実の奥底で体験されるような対立は、決して破壊的なものではない。そのような対立は必ず解決され、カタルシスをもたらし、それによって2人は、より豊かな知識と能力を得ることができる。そのような経験に基づく愛は、絶え間ない挑戦である。それは安らぎの場ではなく、活動であり、成長であり、共同作業なのである。
愛とは本質的に、意志に基づいた行為であるべきだ。自分の全人生を相手の人生に賭けようという、決断の行為であるべきだ。実は、ひとたび結婚したら絶対に別れてはならないと言う考え方の背景にあるのは、この理論である。誰かを愛するというのは、単なる激しい感情ではない。それは決意であり、決断であり、約束である。もしも、愛が単なる感情にすぎないとすれば、『あなたを永遠に愛します』という約束には、何の根拠もないことになる。感情は生まれ、また消えてゆくからだ。
(福島大学経済学部助教授 飯田史彦先生 「いきがい」の夜明けより )
1971年。
アポロ14号の月着陸船に乗り込んだエドガー・ミッチェル氏。
彼は自書「宇宙からの帰還」(立花隆、中央公論社刊)でこう語っている。
“月探検の任務を無事に果し、予定通り宇宙船は地球に向かっているので、精神的余裕もできた。落ち着いた気持で、窓からはるかかなたの地球を見た。無数の星が暗黒の中で輝き、その中に我々の地球が浮かんでいた。
いつも私の頭にあった幾つかの疑問が浮かんできた。私という人間がここに存在しているのはなぜか。私の存在には意味があるのか。目的があるのか。
いつも、そういった疑問が頭に浮かぶたびに、ああでもないこうでもないと考え続けるのだが、そのときはちがった。疑問と同時に、その答えが瞬間的に浮かんできた。問いと答えと二段階のプロセスがあったというより、すべてが一瞬のうちだったといったほうがよいだろう。それは不思議な体験だった。宗教学でいう神秘体験とはこういうことかと思った。心理学でいうピーク体験(至高体験)だ。詩的に表現すれば、神の顔にこの手でふれたという感じだ。とにかく、瞬間的に真理を把握したという思いだった。
世界は有意味である。私も宇宙も偶然の産物ではありえない。
すべての存在がそれぞれにその役割を担っているある神的なプランがある。そのプランは生命の進化である。生命は目的をもって進化しつつある。個別的生命は全体の部分である。個別的生命が部分をなしている全体がある。すべては一体である。一体である全体は完壁であり、秩序づけられており、調和しており、愛に満ちている。この全体の中で、人間は神と一体だ。自分は神と一体だ。自分は神の目論見に参与している。宇宙は創造的進化の過程にある。この一瞬一瞬が宇宙の新しい創造なのだ。進化は創造の継続である。神の思惟が、そのプロセスを動かしていく。人間の意識はその神の思惟の一部としてある。その意味において、人間の一瞬一瞬の意識の動きが、宇宙を創造しつつあるといえる。
こういうことが一瞬にしてわかり、私はたとえようもない幸福感に満たされた。それは至福の瞬間だった。神との一体感を味わっていた。
神とは宇宙霊魂あるいは宇宙精神(コスミック・スピリット)であるといってもよい。宇宙知性(コズミック・インテリジエンス)といってもよい。それは一つの大いなる思惟である。その思惟に従って進行しているプロセスがこの世界である。人問の意識はその思惟の一つのスペクトラム(連続体)にすぎない。宇宙の本質は、物質ではなく霊的知性なのだ。この本質が神だ。
――では、この肉体を持った個別的人間存在は何なのか。人は死ねぱどうなるのか。
人間というのは、自意識を持ったエゴと、普遍的霊的存在の結合体だ。前者に意識がとらわれていると、人間はちょっと上等にできた動物にすぎず、本質的には肉と骨で構成されている物質ということになろう。そして、人間はあらゆる意味で有限で、宇宙に対しては無意味な存在ということになろう。しかし、エゴに閉じ込められていた自意識が開かれ、後者の存在を認識すれば、人間には無限のポテンシャルがあるということがわかる。人問は限界があると思っているから限界があるのであり、与えられた環境に従属せざるをえないと思っているから従属しているのである。スピリチュアルな本質を認識すれば、無限のポテンシャルを現実化し、あらゆる環境与件を乗りこえていくことができる。
人が死ぬとき、前者は疑いもなく死ぬ。消滅する。人間的エゴは死ぬのだ。しかし、後者は残り、そのもともとの出所である普遍的スピリットと合体する。神と一体になるのだ。後者にとっては、肉体は一時的な住み処であったにすぎない。だから、死は一つの部屋から出て別の部屋に入っていくというくらいの意味しかない。人間の本質は後者だから、人問は不滅なのだ。キリスト教で人が死んで永遠の生命に入るというのも、仏教で、死して涅槃に入るというのも、このことを意味しているのだろう。だから、私は死を全く恐れていない
アポロ14号の月着陸船に乗り込んだエドガー・ミッチェル氏。
彼は自書「宇宙からの帰還」(立花隆、中央公論社刊)でこう語っている。
“月探検の任務を無事に果し、予定通り宇宙船は地球に向かっているので、精神的余裕もできた。落ち着いた気持で、窓からはるかかなたの地球を見た。無数の星が暗黒の中で輝き、その中に我々の地球が浮かんでいた。
いつも私の頭にあった幾つかの疑問が浮かんできた。私という人間がここに存在しているのはなぜか。私の存在には意味があるのか。目的があるのか。
いつも、そういった疑問が頭に浮かぶたびに、ああでもないこうでもないと考え続けるのだが、そのときはちがった。疑問と同時に、その答えが瞬間的に浮かんできた。問いと答えと二段階のプロセスがあったというより、すべてが一瞬のうちだったといったほうがよいだろう。それは不思議な体験だった。宗教学でいう神秘体験とはこういうことかと思った。心理学でいうピーク体験(至高体験)だ。詩的に表現すれば、神の顔にこの手でふれたという感じだ。とにかく、瞬間的に真理を把握したという思いだった。
世界は有意味である。私も宇宙も偶然の産物ではありえない。
すべての存在がそれぞれにその役割を担っているある神的なプランがある。そのプランは生命の進化である。生命は目的をもって進化しつつある。個別的生命は全体の部分である。個別的生命が部分をなしている全体がある。すべては一体である。一体である全体は完壁であり、秩序づけられており、調和しており、愛に満ちている。この全体の中で、人間は神と一体だ。自分は神と一体だ。自分は神の目論見に参与している。宇宙は創造的進化の過程にある。この一瞬一瞬が宇宙の新しい創造なのだ。進化は創造の継続である。神の思惟が、そのプロセスを動かしていく。人間の意識はその神の思惟の一部としてある。その意味において、人間の一瞬一瞬の意識の動きが、宇宙を創造しつつあるといえる。
こういうことが一瞬にしてわかり、私はたとえようもない幸福感に満たされた。それは至福の瞬間だった。神との一体感を味わっていた。
神とは宇宙霊魂あるいは宇宙精神(コスミック・スピリット)であるといってもよい。宇宙知性(コズミック・インテリジエンス)といってもよい。それは一つの大いなる思惟である。その思惟に従って進行しているプロセスがこの世界である。人問の意識はその思惟の一つのスペクトラム(連続体)にすぎない。宇宙の本質は、物質ではなく霊的知性なのだ。この本質が神だ。
――では、この肉体を持った個別的人間存在は何なのか。人は死ねぱどうなるのか。
人間というのは、自意識を持ったエゴと、普遍的霊的存在の結合体だ。前者に意識がとらわれていると、人間はちょっと上等にできた動物にすぎず、本質的には肉と骨で構成されている物質ということになろう。そして、人間はあらゆる意味で有限で、宇宙に対しては無意味な存在ということになろう。しかし、エゴに閉じ込められていた自意識が開かれ、後者の存在を認識すれば、人間には無限のポテンシャルがあるということがわかる。人問は限界があると思っているから限界があるのであり、与えられた環境に従属せざるをえないと思っているから従属しているのである。スピリチュアルな本質を認識すれば、無限のポテンシャルを現実化し、あらゆる環境与件を乗りこえていくことができる。
人が死ぬとき、前者は疑いもなく死ぬ。消滅する。人間的エゴは死ぬのだ。しかし、後者は残り、そのもともとの出所である普遍的スピリットと合体する。神と一体になるのだ。後者にとっては、肉体は一時的な住み処であったにすぎない。だから、死は一つの部屋から出て別の部屋に入っていくというくらいの意味しかない。人間の本質は後者だから、人問は不滅なのだ。キリスト教で人が死んで永遠の生命に入るというのも、仏教で、死して涅槃に入るというのも、このことを意味しているのだろう。だから、私は死を全く恐れていない
素敵な言葉を見つけました。
「患者は心の中に自分の医師を囲っています。
ただ、彼らはそのことを知らずに,我々医師の治療を受けにやってくるのです。
医師が一番良い仕事をしているときは、彼らの中に住む医師に、
働くチャンスを与えてあげることができるときなのです。」
(アルベルト・シュバイツアー)
「患者は心の中に自分の医師を囲っています。
ただ、彼らはそのことを知らずに,我々医師の治療を受けにやってくるのです。
医師が一番良い仕事をしているときは、彼らの中に住む医師に、
働くチャンスを与えてあげることができるときなのです。」
(アルベルト・シュバイツアー)
今年、ノーベル賞の受賞者が4人と画期的なことがあった。ノーベル賞の受賞者は、一つの賞につき1年で最大3人の枠がある。物理学賞は3人すべてが日本生まれという快挙となった。
ノーベル物理学賞を受賞した米シカゴ大名誉教授の南部陽一郎さんは、理論の提唱から40年以上たっての受賞であった。何度も候補に挙がりながら受賞に至らず、「早過ぎた研究」とも評された。「対称性の自発的な破れ」は「時代を先取りしすぎた研究」だったのだ。
スイス・フランス国境で稼働した大型加速器「LHC」は、ビックバーンを再現するという。
陽子同士を光速に近い速さで衝突させ、宇宙誕生直後の状況を再現しようと試みている。その過程でCP対称性の破れがどのように生じたか、課題が解明されることが期待される。この世界最大の加速器で、宇宙の生まれた原点=「ビッグバン」に戻り、宇宙の誕生や進化の謎に迫るのだ。
世界中からは数千人規模の科学者が参加し、素粒子の衝突を分析して、「ヒッグス粒子」や「超対称性粒子」の実験がこの大型加速器でおこなわれる。
加速器実験で、もうひとつの実験が注目されている。実証されれば、アインシュタイン以来の21世紀最大の発見になるかもしれない。
それは、リサ・ランドール博士(ハーバード大学教授)の未発見の素粒子が姿をあらわす余剰次元の実験である。この加速器の実験結果からは、従来までの科学の概念が根底から崩れることになるかも知れない。
原子核の衝突実験中にこの世界から姿を消す素粒子が突然消えたり、出現したりするという素粒子重力の動きに対し、五次元の論文に至った。
では、まず余剰次元とは何か。彼女の著書には軽快な説明がなされている。そこには地球上の芸術家たちが、この三次元空間を二次元の絵画として表現するように、物理学者がえがく高次元時空とは時間も含め四次元であるから5次元以降の次元を余剰次元と呼ぶというのだ。
わたしたちの住む世界は縦・横・高さ(X・Y・Z軸で位置を表す)の3次元で、時間軸を加えると4次元になる。ここで博士は高次元の世界を次のようにモデル構築し、分かりやすく説明している。
わたしたちの世界はバスルームにおけるシャワーカーテンで、わたくしたちはシャワーカーテンに着いた水滴のようなものである。水滴はシャワーカーテンの上を移動できるがシャワーカーテンからバスルームに飛び出すことはできない。バスルーム全体が高次元(5次元、6次元など)の世界であるというのだ。わたしたちはシャワーカーテン(3次元世界)のなかを移動できるが高次元の世界へ飛び出すことも異次元の世界を見ることもできない。また、このように異なる次元のシャワーカーテン(異次元の世界)がいくつかあると考えている。
博士はこう説いた。アインシュタインの相対性理論によれば時間と空間は物質やエネルギーがあれば必ず歪められる。もし宇宙に隠れた次元があれば、その方向に歪め曲がる可能性があるのだ。それを示すのが「ワープ」というのだ。すぐそこにもうひとつの次元が存在するという。
仮にシャワーカーテンの「水滴」だった「世界」が、他の「世界」に飛び出すことを「ワープ」といおう。幼いころ見たアニメ「宇宙戦艦ヤマト」をご存知の方も多いだろう。この物語の中で船長が異次元に飛び出すためによくつかった言葉・・・あの「ワープ!」だ。私たちは、自然に遊びの中でこの言葉を扱った世代ではなかろうか。このSF映画、もしくはアニメ用語と考えられていた「ワープ」は、すぐそこにもうひとつの次元の存在、余剰次元の存在をすでにほのめかしていたのだ。
実際には三次元に住む私たちは、余剰次元の概念などSF映画やカルト的信仰と扱われてきた。そのことが、この実験で科学的に実証されようとしているのだ。
今、物理学は大変な時代にさしかかっている。かつてはSFや空想の世界に思われていた考えが理論的に「ありうる」とみなされはじめている。
話しを戻そう。
スイスではじまった加速器の実験で五次元(余剰次元)という新しい概念が発見されると、素粒子物理学、宇宙論、天文学の世界はすべてがらりと変わりもはや従来の考えには戻れなくなる。
高速の粒子が衝突して粉々になった破片はある確立で姿を消すことが予想されている。もし粒子が姿を消したことが確認された場合、姿を消した先が異次元の世界であると考えられる。シャワーカーテンから「世界」が「ワープ」する,「ビックバーン」の瞬間である。
このようなクォーク同士の2兆電子ボルト以上の激しい正面衝突。それは100億年前に起こったビッグバンの最初の1兆分の1秒の間だという。
ここでいくつかの仮説をたててみよう。
私の施療において最近ではクライアントの80%以上が、「体外離脱」または「異次元体験」をされる。私は施術では、この実験にあるような「余剰次元へのワープ」が日常におこっているとするならばいかがだろう。
「エネルギー施療」とその原理を、LEPのトンネルを使った,2つの陽子を光速近い速さになるまで加速、正面衝突させる大型ハドロン衝突器(LHC)と同じ原理だと例えてみてみる。
ここでの加速器のふたつの陽子を光速度に加速するということを、私の中で行われている「意識エネルギー」を使った「量子の場」へのアクセスによる、エネルギーの加速と想定してみると面白い。クライアントの存在(三次元)を形成する粒子(クオーク)レベルに、「量子の場」からの最大限「意識エネルギー」による素粒子の衝突がおこり、クライアントのもつ「ネガティブエネルギー」を消失させる。すなわち、「完全」な状態(本来の状態)」をもつ次元にワープするというものだ。
そこには、今回の加速器実験で予測される「ビックス粒子」もしくは超対称性と呼ばれる不思議な法則の形跡かもしれないし,理論物理学者の頭をかすめもしなかった予想外の結果が起きていているのかもしれない。その結果、前研究ですでに確認されている素粒子が消えるという、シャワーカーテンから飛び出した時限を仮に「体外離脱」「異次元」体験と想定するならば・・・すなわち意識エネルギーによって量子レベルでの素粒子の衝突による化学変化により、意識が余剰異次元へ「ワープ」する。
たとえば、クライアントの意識エネルギーは、それぞれのある閾値を越えると瞬間的に今はまだ解明されていない「隠れた次元」に精神エネルギーの方向性が歪められ、その結果、「約束された」余剰次元に飛び出し何かを体験しているのかもしれない。
しかし、すべては個人的な予測にすぎない。
まさに南部名誉教授のように「時代を先取りしすぎた研究」なのかもしれない。
今回の実験で最先端の科学で実証されれば、新たな概念の誕生となる。精神のエネルギーの発見でもある。
研究がさらに進み、今は科学的には説明がつかないとされていることや、非科学的であるとされている精神エネルギー的施療にも近い未来、光が当たるだろう。
「変化」と「膨張」しつづける宇宙。ひとつの理論の定式化がかならずしも最良のものとは限らない。多くの疑問は残ったままで私たちの旅はまだまだ終わらない。
しかし変わらないものがある。
それは、科学者たちは(われわれ人類は)
「真理」は自然の中にあることを知っているいうことだ。
最後に、当院のフィロソフィー(施療哲学)に立ち返る。
人は無限な可能性をもつ完全な存在である。
すべての人はその答えをもっている。
その答えを最大限に引き出すには
パートナーが必要だ。
最後までお読み頂きましてありがとうございます。
横山総合施術院
ノーベル物理学賞を受賞した米シカゴ大名誉教授の南部陽一郎さんは、理論の提唱から40年以上たっての受賞であった。何度も候補に挙がりながら受賞に至らず、「早過ぎた研究」とも評された。「対称性の自発的な破れ」は「時代を先取りしすぎた研究」だったのだ。
スイス・フランス国境で稼働した大型加速器「LHC」は、ビックバーンを再現するという。
陽子同士を光速に近い速さで衝突させ、宇宙誕生直後の状況を再現しようと試みている。その過程でCP対称性の破れがどのように生じたか、課題が解明されることが期待される。この世界最大の加速器で、宇宙の生まれた原点=「ビッグバン」に戻り、宇宙の誕生や進化の謎に迫るのだ。
世界中からは数千人規模の科学者が参加し、素粒子の衝突を分析して、「ヒッグス粒子」や「超対称性粒子」の実験がこの大型加速器でおこなわれる。
加速器実験で、もうひとつの実験が注目されている。実証されれば、アインシュタイン以来の21世紀最大の発見になるかもしれない。
それは、リサ・ランドール博士(ハーバード大学教授)の未発見の素粒子が姿をあらわす余剰次元の実験である。この加速器の実験結果からは、従来までの科学の概念が根底から崩れることになるかも知れない。
原子核の衝突実験中にこの世界から姿を消す素粒子が突然消えたり、出現したりするという素粒子重力の動きに対し、五次元の論文に至った。
では、まず余剰次元とは何か。彼女の著書には軽快な説明がなされている。そこには地球上の芸術家たちが、この三次元空間を二次元の絵画として表現するように、物理学者がえがく高次元時空とは時間も含め四次元であるから5次元以降の次元を余剰次元と呼ぶというのだ。
わたしたちの住む世界は縦・横・高さ(X・Y・Z軸で位置を表す)の3次元で、時間軸を加えると4次元になる。ここで博士は高次元の世界を次のようにモデル構築し、分かりやすく説明している。
わたしたちの世界はバスルームにおけるシャワーカーテンで、わたくしたちはシャワーカーテンに着いた水滴のようなものである。水滴はシャワーカーテンの上を移動できるがシャワーカーテンからバスルームに飛び出すことはできない。バスルーム全体が高次元(5次元、6次元など)の世界であるというのだ。わたしたちはシャワーカーテン(3次元世界)のなかを移動できるが高次元の世界へ飛び出すことも異次元の世界を見ることもできない。また、このように異なる次元のシャワーカーテン(異次元の世界)がいくつかあると考えている。
博士はこう説いた。アインシュタインの相対性理論によれば時間と空間は物質やエネルギーがあれば必ず歪められる。もし宇宙に隠れた次元があれば、その方向に歪め曲がる可能性があるのだ。それを示すのが「ワープ」というのだ。すぐそこにもうひとつの次元が存在するという。
仮にシャワーカーテンの「水滴」だった「世界」が、他の「世界」に飛び出すことを「ワープ」といおう。幼いころ見たアニメ「宇宙戦艦ヤマト」をご存知の方も多いだろう。この物語の中で船長が異次元に飛び出すためによくつかった言葉・・・あの「ワープ!」だ。私たちは、自然に遊びの中でこの言葉を扱った世代ではなかろうか。このSF映画、もしくはアニメ用語と考えられていた「ワープ」は、すぐそこにもうひとつの次元の存在、余剰次元の存在をすでにほのめかしていたのだ。
実際には三次元に住む私たちは、余剰次元の概念などSF映画やカルト的信仰と扱われてきた。そのことが、この実験で科学的に実証されようとしているのだ。
今、物理学は大変な時代にさしかかっている。かつてはSFや空想の世界に思われていた考えが理論的に「ありうる」とみなされはじめている。
話しを戻そう。
スイスではじまった加速器の実験で五次元(余剰次元)という新しい概念が発見されると、素粒子物理学、宇宙論、天文学の世界はすべてがらりと変わりもはや従来の考えには戻れなくなる。
高速の粒子が衝突して粉々になった破片はある確立で姿を消すことが予想されている。もし粒子が姿を消したことが確認された場合、姿を消した先が異次元の世界であると考えられる。シャワーカーテンから「世界」が「ワープ」する,「ビックバーン」の瞬間である。
このようなクォーク同士の2兆電子ボルト以上の激しい正面衝突。それは100億年前に起こったビッグバンの最初の1兆分の1秒の間だという。
ここでいくつかの仮説をたててみよう。
私の施療において最近ではクライアントの80%以上が、「体外離脱」または「異次元体験」をされる。私は施術では、この実験にあるような「余剰次元へのワープ」が日常におこっているとするならばいかがだろう。
「エネルギー施療」とその原理を、LEPのトンネルを使った,2つの陽子を光速近い速さになるまで加速、正面衝突させる大型ハドロン衝突器(LHC)と同じ原理だと例えてみてみる。
ここでの加速器のふたつの陽子を光速度に加速するということを、私の中で行われている「意識エネルギー」を使った「量子の場」へのアクセスによる、エネルギーの加速と想定してみると面白い。クライアントの存在(三次元)を形成する粒子(クオーク)レベルに、「量子の場」からの最大限「意識エネルギー」による素粒子の衝突がおこり、クライアントのもつ「ネガティブエネルギー」を消失させる。すなわち、「完全」な状態(本来の状態)」をもつ次元にワープするというものだ。
そこには、今回の加速器実験で予測される「ビックス粒子」もしくは超対称性と呼ばれる不思議な法則の形跡かもしれないし,理論物理学者の頭をかすめもしなかった予想外の結果が起きていているのかもしれない。その結果、前研究ですでに確認されている素粒子が消えるという、シャワーカーテンから飛び出した時限を仮に「体外離脱」「異次元」体験と想定するならば・・・すなわち意識エネルギーによって量子レベルでの素粒子の衝突による化学変化により、意識が余剰異次元へ「ワープ」する。
たとえば、クライアントの意識エネルギーは、それぞれのある閾値を越えると瞬間的に今はまだ解明されていない「隠れた次元」に精神エネルギーの方向性が歪められ、その結果、「約束された」余剰次元に飛び出し何かを体験しているのかもしれない。
しかし、すべては個人的な予測にすぎない。
まさに南部名誉教授のように「時代を先取りしすぎた研究」なのかもしれない。
今回の実験で最先端の科学で実証されれば、新たな概念の誕生となる。精神のエネルギーの発見でもある。
研究がさらに進み、今は科学的には説明がつかないとされていることや、非科学的であるとされている精神エネルギー的施療にも近い未来、光が当たるだろう。
「変化」と「膨張」しつづける宇宙。ひとつの理論の定式化がかならずしも最良のものとは限らない。多くの疑問は残ったままで私たちの旅はまだまだ終わらない。
しかし変わらないものがある。
それは、科学者たちは(われわれ人類は)
「真理」は自然の中にあることを知っているいうことだ。
最後に、当院のフィロソフィー(施療哲学)に立ち返る。
人は無限な可能性をもつ完全な存在である。
すべての人はその答えをもっている。
その答えを最大限に引き出すには
パートナーが必要だ。
最後までお読み頂きましてありがとうございます。
横山総合施術院
暑かった夏も終わり、ここ熊谷も涼しく秋の香りがただよいはじめました。
皆様お元気でお過ごしでしょうか?
熊谷のまた先に位置する当院へは毎日、北海道から沖縄、最近ではアメリカのLAなど(笑)
海を渡って遠方から、多くの患者様が訪れてくださいます。本当にありがたいことです。
中でも医療関係者の方の来院がとても多いのが、当院のひとつの特徴ではないでしょうか。
人の命をあずかる医療従事者の方々は、それだけ「意識」が高く「使命」をもった方が多いということでしょうね。
医療従事者とは、医療機関で働く医師はもちろん看護師、そしてケースワーカさんなどです。
特に看護師さんのネットワークはすばらしもので、ご紹介がご紹介をつなげ、沢山の看護師さんたちが「心身と魂」を癒しにお越しになっております。
昨今の医療保険制度,看護師さんの不足など壮絶な激務の中で、なりふり構わず患者さまに献身的につくし
心身とも疲れ果ててしまった方々なのです。
「自分の幸せ」を患者さまの笑顔に見ながら、「献身」と「奉仕」以外の何者でもない「「愛の行為」にすべてを捧げている、まさに「白衣の天使」達です。
化粧っけもなく私服に着替えても消毒の匂いがする、若い看護師さんもいらっしゃいます。しかし笑顔は格別です。
病院でのポジションはみな高く責任と重圧に押しつぶされそうだと言います。
カウンセリングでは、ずっと前に、すててしまった女性性と母性を一緒に拾いに行きます。
婚期を逃してしまわないように、女性として美しく健康的に輝けるようになりたい・・・
そんな望みをもう一度見つけにいくのです。
自分の幸せは二の次に・・・今まで沢山失ってきたものを見つめることで
エネルギーが注がれ全容が現れてきます。
施術では、過去の記憶を大掃除することで、もう一度、人としての幸せ、自分にとっての幸せを思い出し、「自己犠牲」ではない「今回の人生の意味」を自ら見出すのです。
とても疲れてしまったけど、それでも白衣の天使達は求めてやまないものがあります。
それは「生きがい」であり「愛」なのです。
人は「愛」のエネルギーにたっぷり癒され満たされると
かならず自分の中の「愛」を思い出します。
「愛」はエネルギー。
「愛」に満たされた白衣の天使達は、今度は患者さまに
もう・・・枯れることのない「愛」を贈りつづけることでしょう。
この地球と人と宇宙は、すべては循環している。
すべてが共鳴し響きあう、「環境」から「環響」へと・・・・
ありがとうございました。
横山総合施術院
皆様お元気でお過ごしでしょうか?
熊谷のまた先に位置する当院へは毎日、北海道から沖縄、最近ではアメリカのLAなど(笑)
海を渡って遠方から、多くの患者様が訪れてくださいます。本当にありがたいことです。
中でも医療関係者の方の来院がとても多いのが、当院のひとつの特徴ではないでしょうか。
人の命をあずかる医療従事者の方々は、それだけ「意識」が高く「使命」をもった方が多いということでしょうね。
医療従事者とは、医療機関で働く医師はもちろん看護師、そしてケースワーカさんなどです。
特に看護師さんのネットワークはすばらしもので、ご紹介がご紹介をつなげ、沢山の看護師さんたちが「心身と魂」を癒しにお越しになっております。
昨今の医療保険制度,看護師さんの不足など壮絶な激務の中で、なりふり構わず患者さまに献身的につくし
心身とも疲れ果ててしまった方々なのです。
「自分の幸せ」を患者さまの笑顔に見ながら、「献身」と「奉仕」以外の何者でもない「「愛の行為」にすべてを捧げている、まさに「白衣の天使」達です。
化粧っけもなく私服に着替えても消毒の匂いがする、若い看護師さんもいらっしゃいます。しかし笑顔は格別です。
病院でのポジションはみな高く責任と重圧に押しつぶされそうだと言います。
カウンセリングでは、ずっと前に、すててしまった女性性と母性を一緒に拾いに行きます。
婚期を逃してしまわないように、女性として美しく健康的に輝けるようになりたい・・・
そんな望みをもう一度見つけにいくのです。
自分の幸せは二の次に・・・今まで沢山失ってきたものを見つめることで
エネルギーが注がれ全容が現れてきます。
施術では、過去の記憶を大掃除することで、もう一度、人としての幸せ、自分にとっての幸せを思い出し、「自己犠牲」ではない「今回の人生の意味」を自ら見出すのです。
とても疲れてしまったけど、それでも白衣の天使達は求めてやまないものがあります。
それは「生きがい」であり「愛」なのです。
人は「愛」のエネルギーにたっぷり癒され満たされると
かならず自分の中の「愛」を思い出します。
「愛」はエネルギー。
「愛」に満たされた白衣の天使達は、今度は患者さまに
もう・・・枯れることのない「愛」を贈りつづけることでしょう。
この地球と人と宇宙は、すべては循環している。
すべてが共鳴し響きあう、「環境」から「環響」へと・・・・
ありがとうございました。
横山総合施術院





